今日は、制作への意識が180度変えられるきっかけとなった出来事についてお分ち致します。
ある時、自然の中を一人で散歩していました。
その頃は心がすっかり疲れていて。。。
一つの痛みをともなう出来事があり、
それをきっかけに、過去の薄暗い記憶の数々が思い出され
出口のない中を、ぐるぐると回っているようでした。
鳥の声や、緑の香り、そよそよ吹く風が
痛みを和らげてくれるように感じ、黙々と歩いていく。。。
目に映るものを、追いながら足を進めるうちに、何か気になってそちらを見ると
虫に食われたボロボロの葉。
それも、周りの葉は生き生きとしているのに、
なぜかその葉だけが穴だらけに。。。
たまたま虫に見つけられやすい場所に生えていたのでしょうか。
目の前の葉と心が重なりました。
ボロボロで、みじめで、醜く、痛々しいと
その頃は、いつも感じていましたので。
しばらく、その葉をながめていると、
新しい思いが浮かんできました。
少し前に観た映画:「パッション」のキリストの姿、
そして葉のイメージが重なり、一つの言葉が響きました。
”まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たち
は思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私
たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲
らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた”
(旧約聖書:イザヤ書53章5節)
何度も読み、よく知っている箇所でしたが
私への語りかけとして、初めて受け取ることができました。
ボロボロになった、穴だらけの心を
キリストが代わりに引き受けてくださったのです。
そのことを、ハッキリと知ったとき
生まれて初めて 自由な場所に心が移され
そこに住むようになりました。
心の闇と痛みが、光によって消し去られて。。。
虫食いの葉は病や痛みの象徴ではなく、
光をたくさん通す、美しいレースにかわり
気持ちよさそうに、風にゆれて踊っているようでした。
すごい!とてもステキな劇的体験だったのね。
こういう転機
神様は1人1人に用意してくれてるのかも。
とても貴重な経験で、しまっておくのはもったいないので
ここにシェアしてみました✨
わかりやすくおあかしくださり、感謝します。
わかりやすかったのは、いまだからかもしれません。
人のいたみを傾聴し同伴すること、利他、聖霊、信仰について、御言葉と同じ信仰の方々が言われたこと、記されたこと、つくられた音楽や絵などを、自然をながめながら思いめぐらせているところでした。
森田様
コメントをありがとうございます。
神様はお一人お一人の個性に合わせて、わかりやすく語り掛けて下さるお方ですよね。
自然の中に身を置くと、天の父なる方にゆったりと包まれて。。。。
子としていつくしんでくださるのを感じ、平安が広がってゆきます✨✨✨