エマオの途上でー聖書と絵画ー

エマオに向かう弟子たちに現れるキリスト

ガブリエル
エマオ途上での出来事を、絵画と聖書箇所から見て行きましょう。イエス・キリストが十字架に架かられた後二人の弟子たちが、エルサレムからエマオという町に向かって歩いていました。

ルカによる福音書24章13~15節 (新改訳2017)

ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから六十スタディオン余り離れた、エマオという村に向かっていた。彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。※1スタディオンは訳185メートル


『エマオ』ロバートツンドRobert Zündザンクト・ガレン美術館 1877年頃

キアラ
イエス様を含めた3人が背中側から描かれているのに、表情まで想像できる感じ。。。神秘的できれいな絵。。。エマオというのはどこにあるの?
ガブリエル
エマオは、エルサレムからみて西側にありました。その道のりは60スタディオン程あり、1スタディオンが185メートルなので歩いて移動するには結構な距離ですね。

エマオの途上で:キリストに気が付かない弟子たち

ルカによる福音書24章16~28節 (新改訳2017)

しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。イエスは彼らに言われた。

イエス
歩きながら語り合っているその話は何のことですか。
すると、二 人は暗い顔をして立ち止まった。そして、その一人、クレオパという人がイエスに答えた。
弟子1
エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こったことを、あなただけがご存じないのですか。」

イエスが

イエス
どんなことですか

と言われると、二人は答えた。

弟子1
ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。
弟子2
それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。
弟子1
私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけ ていました。実際、そればかりではありません。そのことがあってから三日目になりますが、仲間の女 たちの何人かが、私たちを驚かせました。
弟子2
彼女たちは朝早く墓に行きましたが、イエス様のか らだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエス様 が生きておられると告げた、と言うのです。それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、 まさしく彼女たちの言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
そこでイエスは彼らに言われた。
イエス
ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったこと すべてを信じられない者たち。キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に 入るはずだったのではありませんか。
それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから 始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。

エマオの途上で:目が開かれる


『キリストと二人の弟子-エマオの途上-』ドゥッチョ Duccio
1308–1311年頃 ドゥオーモ付属美術館(シエナ)

ルカによる福音書24章29~32節 (新改訳2017)

彼らが、

弟子1
一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています

と言って強く勧め たので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は話し合った。

弟子2
道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたで はないか。
(ルカ24章13~32節)


『エマオの巡礼者』 ティツィアーノTiziano Vecellio
ルーヴル美術館(パリ)1535年

エマオの途上で:カラバッジョの作品


『エマオの晩餐』カラバッジョCaravaggio
ナショナルギャラリー(ロンドン)1601年

強い光が当てられたような劇的な画面と構成が際立つカラバッジョの代表的な作品。
右側の弟子の左右の腕と、その間の頭部の距離感や手前の手のこちらに飛び出してきそうな立体感に迫力があり確かな力量が感じられる。

エマオの途上で:レンブラントの作品

『エマオのキリスト』レンブラントRembrandt Harmenszoon van Rijn 1648年
ずっと語り合いながら道を歩いてきた弟子たちだったが、パンを割く様子を見て初めてイエス・キリストであることに気が付いた。イエス・キリストは聖書の中で度々、光として表現されている。暗い室内に光り輝くキリストと穏やかな表情が、不安な心に光を差し込み平安へと導くようだ。

エマオの途上で:カール・ハインリッヒ・ブロッホの作品


Supper at Emmeus カール・ハインリッヒ・ブロッホ (1834–1890) 1870年代Brigham Young University Museum of Art
威厳のある表情のキリストは全体から発光しているように表現されている。二人の弟子たちが背中から描かれているが顔が見えなくても、驚きが伝わってくるようだ。また、中央のキリストだけがこちらを向くように描かれていることでキリストの表情に意識が集中される。

エマオの途上で:アブラハム・ブロマートの作品

『エマオの弟子』アブラハム・ブロマートAbraham Bloemaert
ベルギー王立美術館 1622年

エマオの途上で:ローラン・ド・ラ・ハイヤーの作品


「エマオのキリスト」ローラン・ド・ラ・ハイヤーLaurent de La Hyre
  グルノーブル美術館1656年

エマオの途上で:ステンドグラスによる作品


クリストファーウェッブによる聖オールバン大聖堂の窓


1888-94年頃、北オックスフォード州ジェリコのセントポール教会

エマオの途上での出来事まとめ

① イエス・キリストは、エルサレムからエマオに向かう二人の弟子たちの前に現れた。
② 二人と一緒に歩きながら聖書全体の話をされた。
③ 食卓でパンを割く姿を見て、二人はイエス・キリストと気が付くがその姿は見えなくなる。

ガリラヤの風薫る丘で

このブログをまとめながら大好きなこの曲を思い出し、是非聴いていただきたいと思いました。

エマオの途上についての動画

エマオ途上の聖書箇所をもとに作られた動画です。7分ほどの短い中に、この出来事の感動がギュッと詰め込まれています。