エマオに向かう弟子たちに現れるキリスト
ルカによる福音書24章13~15節 (新改訳2017)
ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから※六十スタディオン余り離れた、エマオという村に向かっていた。彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。※1スタディオンは訳185メートル
『エマオ』ロバートツンドRobert Zündザンクト・ガレン美術館 1877年頃
エマオの途上で:キリストに気が付かない弟子たち
ルカによる福音書24章16~28節 (新改訳2017)
しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。イエスは彼らに言われた。
イエスが
と言われると、二人は答えた。
エマオの途上で:目が開かれる
『キリストと二人の弟子-エマオの途上-』ドゥッチョ Duccio
1308–1311年頃 ドゥオーモ付属美術館(シエナ)
ルカによる福音書24章29~32節 (新改訳2017)
彼らが、
と言って強く勧め たので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は話し合った。
『エマオの巡礼者』 ティツィアーノTiziano Vecellio
ルーヴル美術館(パリ)1535年
エマオの途上で:カラバッジョの作品
『エマオの晩餐』カラバッジョCaravaggio
ナショナルギャラリー(ロンドン)1601年
強い光が当てられたような劇的な画面と構成が際立つカラバッジョの代表的な作品。
右側の弟子の左右の腕と、その間の頭部の距離感や手前の手のこちらに飛び出してきそうな立体感に迫力があり確かな力量が感じられる。
エマオの途上で:レンブラントの作品
『エマオのキリスト』レンブラントRembrandt Harmenszoon van Rijn 1648年
ずっと語り合いながら道を歩いてきた弟子たちだったが、パンを割く様子を見て初めてイエス・キリストであることに気が付いた。イエス・キリストは聖書の中で度々、光として表現されている。暗い室内に光り輝くキリストと穏やかな表情が、不安な心に光を差し込み平安へと導くようだ。
エマオの途上で:カール・ハインリッヒ・ブロッホの作品
Supper at Emmeus カール・ハインリッヒ・ブロッホ (1834–1890) 1870年代Brigham Young University Museum of Art
威厳のある表情のキリストは全体から発光しているように表現されている。二人の弟子たちが背中から描かれているが顔が見えなくても、驚きが伝わってくるようだ。また、中央のキリストだけがこちらを向くように描かれていることでキリストの表情に意識が集中される。
エマオの途上で:アブラハム・ブロマートの作品
『エマオの弟子』アブラハム・ブロマートAbraham Bloemaert
ベルギー王立美術館 1622年
エマオの途上で:ローラン・ド・ラ・ハイヤーの作品
「エマオのキリスト」ローラン・ド・ラ・ハイヤーLaurent de La Hyre
グルノーブル美術館1656年
エマオの途上で:ステンドグラスによる作品
クリストファーウェッブによる聖オールバン大聖堂の窓
1888-94年頃、北オックスフォード州ジェリコのセントポール教会
エマオの途上での出来事まとめ
① イエス・キリストは、エルサレムからエマオに向かう二人の弟子たちの前に現れた。
② 二人と一緒に歩きながら聖書全体の話をされた。
③ 食卓でパンを割く姿を見て、二人はイエス・キリストと気が付くがその姿は見えなくなる。
ガリラヤの風薫る丘で
このブログをまとめながら大好きなこの曲を思い出し、是非聴いていただきたいと思いました。
エマオの途上についての動画
エマオ途上の聖書箇所をもとに作られた動画です。7分ほどの短い中に、この出来事の感動がギュッと詰め込まれています。