『マタイ』取税人として
『マタイ』イエスの招きに答える
マタイ9章9節
イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、
聖マタイの召命 ヤン・サンデルス・ファン・ヘメセンの作品
ペテロをはじめとする漁師の弟子たちは、いつでも戻ることが出来る職業でしたが、彼はイエスに従うことで今まで富をもたらしてきた職業を完全に捨てました。
マタイの召命 カラバッジョの作品
マタイの召命
カラヴァッジョ Michelangelo Caravaggio
サンルイージディフランチェージ教会 (ローマ)
1599-1600年
The_Calling_of_Saint_Matthew-Caravaggo
収税所で仕事をするマタイの所に、イエスが訪れるシーンが描かれています。画面の右はじに立ちイエスはマタイを指さし「わたしについて来なさい」と語られた瞬間のようです。
ちょうど同じ角度で窓から差し込んでいる光がマタイの顔を照らしています。
驚いた表情でイエスに目を向けるマタイは「わたしですか。私のような罪人で良いのでしょうか。」と答えるように自分を指をさしています。
マタイの召命
ヤコブ・ファン・オースト(父)
グルーニング美術館(ベルギー)
1641年
Jacob_van_Oost__The_calling_of_Matthew_Groeningemuseum
マタイの家で食事をするイエス
マタイ9章10-13節
イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。
これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。
医者を必要とする人
イエスはこれを聞いて言われた。
マタイの家での食事
ティソ
ブルックリン美術館
1886年-1894年
マタイの福音書を書く
マタイは、取税人からイエス様の弟子となりました。そして、かつての仕事で磨かれてきた技術を、神様のために用いる人と変えられたのです。それは、人を良く観察し見抜くこと、ペンをとって記すことでした。イエスと時間を過ごす中で見た事を忠実に記し、マタイによる福音書を執筆しました。
マタイと天使 レンブラントの作品
マタイと天使
レンブラント
ルーブルレンズ(フランス)
1661年
Rembrandt_-_Evangelist_Matthew_and_the_Angel
福音書を執筆するマタイの隣に天使が描かれています。マタイの福音書は紀元80年頃書かれたと言われています。
血管が浮き出た手が魅力的に表現され、考えるような表情のなかにかつてイエスと過ごした日々を懐かしむような感じにも見えます。
マタイと天使 グイド・レーニの作品
マタイと天使
グイド・レーニ
ヴァチカン美術館
1620年
https://upload.wikimedia.org/Guido_Reni
こちらのマタイは、少年として描かれている可愛らしい天使をじっと見つめ、コミュニケーションを取りながら聖書を記述しています。
マタイの殉教
カラバッジョの作品
マタイの殉教
カラバッジョ
サンルイージディフランチェージ教会 (ローマ)
1620年
The_Martyrdom_of_Saint_Matthew-Caravaggio
マタイの殉教のシーンが描かれているこの作品は、サンルイジデイフランチェージ教会のコンタレッリ礼拝堂にあり、『聖マタイの召命』『聖マタイの霊感』のと共に飾られています。
伝承によると、エチオピアの王が彼自身の姪である尼僧との結婚を希望しマタイが反対したことから、礼拝の最中に殺害されたと言われています。
マタイと剣を持つ男性が、スポットライトを当てたような劇的なコントラストで表現され、剣と天使がマタイに差し出した棕櫚(しゅろ)の枝は平行に描かれ、マタイはそれを受け取ろうとしています。
棕櫚=なつめやしは殉教のシンボルであると同時に、復活のシンボルとも言われ、死に対する勝利をあらわしています。また、*1ヨハネの黙示録7章6節にはナツメヤシの枝を手にしている人々が、天の御国で神様を礼拝する姿が描かれています。
背景には洗礼槽、そして半裸の洗礼を待っていたと思われる人々がこの出来事の周りに配置されています。剣を持つ男性の左側の人物の顔はカラバッジョの自画像と言われ、この出来事の目撃者の一人として描かれています。天使と剣を持つ人の間には、講壇の上に立てられた一本のろうそくが火をともし、光として表現されるイエスがこの出来事の一部始終を見守っておられることと共に、*2あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。(マタイ 5:16)の聖書のことばを表現しているかのようです。
引用聖書個所
*1 ヨハネの黙示録7章6節-17節
その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。
彼らは大声で叫んだ。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」
御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を礼拝して言った。
「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、私たちの神に世々限りなくあるように。アーメン。」
すると、長老の一人が私に話しかけて、「この白い衣を身にまとった人たちはだれですか。どこから来たのですか」と言った。
そこで私が「私の主よ、あなたこそご存じです」と言うと、長老は私に言った。「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。
それゆえ、彼らは神の御座の前にあって、昼も夜もその神殿で神に仕えている。御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られる。
彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も、彼らを襲うことはない。
御座の中央におられる子羊が彼らを牧し、いのちの水の泉に導かれる。また、神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」
*2 マタイの福音書 5章 14-16節
あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
マタイについての動画 1
JESUS Jesus Chooses His Disciples
マタイについての動画 2
Life of Jesus Jesus Gathers Disciples
マタイの生涯まとめ
1.マタイは取税人でした。当時の人々はこの職業を罪深い職業としていました。
2.イエスはマタイを弟子として召命し、マタイはすべてを捨てて素直に応じました。
3.マタイはかつての職業で磨いた技術を、神様のために用い「マタイの福音書」を聖霊に導かれながら書きました。
4.マタイは、伝承によるとエチオピアの王が聖書の視点から見て、正しくない道に進もうとしていることを罪であると指摘したことから殉教しますが、今は天国の神様の御許で大切にされています。
出典:Wikimedia Commons
※聖書箇所はすべて新改訳2017を使用しています。
ユダヤ人は当時ローマに支配されていたのですが、そこに納めるための税金を仲間のユダヤ人たちから集めるのが取税人の仕事でしたので、ローマの手先とみなされ大変嫌われていたようです。
また、入札制で高額の入札をした人が権利を請け負う事になっていましたので、彼らが取り立てた金額と政府に入札した金額の差額は彼らの収入となるため、できる限り高額な税を人々から集めていました。