放蕩息子のたとえ話
放蕩息子の希望
ルカ15章11節-12節
イエスはまた、こう話された。
放蕩息子、遠い国へ旅立つ
ルカ15章13節
それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。
ポーランドの騎手(おそらく放蕩息子と言われている)
レンブラント
フリックコレクション(ニューヨーク)
1665年頃
Rembrandt_-_De_Poolse_ruiter
放蕩息子の放蕩生活
そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。
ヤン・ファン・ヘメッセンの作品
放蕩息子
ヤン・ファン・ヘメッセン
ベルギー王立美術館(ブリュッセル)
1536年
Jan_Sanders_van_Hemessen-Enfant_Prodigue
ジェラール・ファン・ホントホルストの作品
放蕩息子
ジェラール・ファン・ホントホルスト
アルテピナコテーク(ドイツ)
1623年
Gerard_van_Honthorst_004.
放蕩息子の困窮
ルカ15章14節-16節
何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。彼は豚が食べているいなご豆で、腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。
ルーベンスの作品
豚飼いとしての放蕩息子
ルーベンス
アントワープ王立美術館(ベルギー)
1618年
ヒエロニムス・ボッシュの作品
旅 人
ヒエロニムス・ボッシュ
ボイマンス・ヴァンベーニンゲン美術館(オランダ)
1494年頃
Jheronimus_Bosch_-_The_Pedlar
振り向いた先には、左側におそらく売春宿と思われる建物と、食事をする豚の家族が描かれています。右側には、男性を見つめる牛と鳥。背景には絞首台が丘の上に立っています。
放蕩息子の気付き
ルカ15章17節-20節
しかし、彼は我に返って言った。
「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」
放蕩息子
アルベール・アンカー
1858年
Albert_Anker_-_Der_verlorene_Sohn
放蕩息子
サルヴァトル・ローザ
エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク)
1651-55
この作品の中で南イタリアの羊飼いとして放蕩息子は描かれています。跪き、天を見上げる様子から地上での父のもとに帰る事と、同時に天の父のもとに心が帰ったことも表現されているのでしょう。
放蕩息子の帰還
ルカ15章20節
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
放蕩息子の帰還
ジェームズ・ティソ
ブルックリン美術館
1886-94年
The_Return_of_the_Prodigal_Son_/_James_Tissot
家に続く道を眺めては、今日だろうか、明日だろうかと。。。。
だからこそ、まだ遠くにいる息子に気が付き 駆け寄っていくことが出来たのです。
放蕩息子を受け入れる父
ルカ15章21節-24節
息子は父に言った。
そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。
この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。
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放蕩息子の帰還
ポンペオ・バトーニ
美術史美術館(ウィーン)
1772年
Pompeo_Batoni_003.
放蕩息子の兄
ルカ15章25節-32節
ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。
それで、しもべの一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
しもべは彼に言った。
しかし、兄は父に答えた。
それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠られるとは。
だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。
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そんな彼らにイエスは、このたとえ話を語る事によってなだめ、神のもとに帰ってきた弟のような、彼らのことを一緒に喜んで欲しいと願っておられるのです。
神と共に働いてきた、誠実な彼らもまた愛しておられ、「信頼し、頼りにしているよ。私の物は全部お前の物だし、この帰ってきたばかりの弟の事もよろしく頼んだ。」という神様からのメッセージを、伝えたかったのでしょう。
放蕩息子の帰還 レンブラント・ファン・レインの作品
放蕩息子の帰還
レンブラント・ファン・レイン
エルミタージュ美術館
1666-1668年
この作品はレンブラントの最晩年に描かれた作品です。
すべてを失い、自分自身をも失いかけ、生きていても死んでいるかのように、追い詰められた放蕩息子。かつて、上質だったと思われるボロボロの衣服を身にまとい、足の裏も傷だらけで自分を傷つける歩みをしてきたことが、現されているようです。
父は全てを察しながらも優しく穏やかな表情で、彼を包むように受け入れています。
息子の肩に置かれた手は、左右で表現を変えて描き分けられています。
左手は強いコントラストで、血管まで丁寧に描かれた男性的な手、右手は彼を優しく受け入れる女性的な手。。。父の愛と母の愛の両方をお持ちである、神様の愛が表現されていると言われています。
放蕩息子の帰還のまとめ
神様は、どんなに遠く離れてしまった人も、帰ってくることを待ち続けて下さっています。そして、心から父のもとに帰ってきたいと思うまで、忍耐づよく待っていてくださるのです。
帰ってきたときには、どんなにボロボロになっていても受け入れ、息子、娘として迎え、最上のもてなしをして、帰ってきたことを喜んでくださるお方です。
また、今まで誠実に生きてくることが出来た人々には、弟のような道を歩まざるを得なかった弱い人々を暖かく迎え入れ、神様がこの事を喜んでいらっしゃるように、迎えることが勧められています。
放蕩息子の動画Ⅰ
イエス様がお育ちになった村、ナザレによる制作
聖書の記述を一緒に見ていきましょう。