放蕩息子の帰還の絵画を聖書と共に「レンブラント」「ボッシュ」等

    放蕩息子のたとえ話

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    ガブリエル
    イエス様は、沢山のたとえ話を用いて神様の愛について語られていますが、今日ご紹介する放蕩息子のお話は特に有名なお話しです。
    聖書の記述を一緒に見ていきましょう。

    放蕩息子の希望

    ルカ15章11節-12節

    イエスはまた、こう話された。

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    イエス
    ある人に二人の息子がいた。弟のほうが父に、
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    お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい
    と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。

    放蕩息子、遠い国へ旅立つ

    ルカ15章13節

    それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。

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    ポーランドの騎手(おそらく放蕩息子と言われている)
    レンブラント
    フリックコレクション(ニューヨーク)
    1665年頃
    Rembrandt_-_De_Poolse_ruiter

    放蕩息子の放蕩生活

    そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。

    ヤン・ファン・ヘメッセンの作品

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    放蕩息子
    ヤン・ファン・ヘメッセン
    ベルギー王立美術館(ブリュッセル)
    1536年
    Jan_Sanders_van_Hemessen-Enfant_Prodigue

    ジェラール・ファン・ホントホルストの作品

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    放蕩息子
    ジェラール・ファン・ホントホルスト
    アルテピナコテーク(ドイツ)
    1623年
    Gerard_van_Honthorst_004.

    放蕩息子の困窮

    ルカ15章14節-16節

    何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。彼は豚が食べているいなご豆で、腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。

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    ガブリエル
    モーセの律法によると、豚は汚れた生き物とされているため、ユダヤでは豚の飼育もされていませんでした。その世話をし、その食べ物を食べたいと思うほど、どん底まで落ちぶれたという事になります。

    ルーベンスの作品

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    豚飼いとしての放蕩息子
    ルーベンス
    アントワープ王立美術館(ベルギー)
    1618年

    ヒエロニムス・ボッシュの作品

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    旅 人
    ヒエロニムス・ボッシュ
    ボイマンス・ヴァンベーニンゲン美術館(オランダ)
    1494年頃
    Jheronimus_Bosch_-_The_Pedlar

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    ガブリエル
    灰色のぼろぼろの衣服を身にまとった男性が、後ろを振り返りながら歩いています。
    振り向いた先には、左側におそらく売春宿と思われる建物と、食事をする豚の家族が描かれています。右側には、男性を見つめる牛と鳥。背景には絞首台が丘の上に立っています。

    放蕩息子の気付き

    ルカ15章17節-20節

    しかし、彼は我に返って言った。

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    父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。
    「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」
    こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。

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    放蕩息子
    アルベール・アンカー
    1858年
    Albert_Anker_-_Der_verlorene_Sohn

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    放蕩息子
    サルヴァトル・ローザ
    エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク)
    1651-55

    この作品の中で南イタリアの羊飼いとして放蕩息子は描かれています。跪き、天を見上げる様子から地上での父のもとに帰る事と、同時に天の父のもとに心が帰ったことも表現されているのでしょう。

    放蕩息子の帰還

    ルカ15章20節

    ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。

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    放蕩息子の帰還
    ジェームズ・ティソ
    ブルックリン美術館
    1886-94年
    The_Return_of_the_Prodigal_Son_/_James_Tissot

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    ガブリエル
    お父さんは、息子が帰ってくることを 今か今かと待ち構えていました。
    家に続く道を眺めては、今日だろうか、明日だろうかと。。。。

    だからこそ、まだ遠くにいる息子に気が付き 駆け寄っていくことが出来たのです。

    放蕩息子を受け入れる父

    ルカ15章21節-24節

    息子は父に言った。

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    お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。
    ところが父親は、しもべたちに言った。
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    急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。
    そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。
    この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。
    こうして彼らは祝宴を始めた。
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    キアラ
    お父さん、少しは怒るかと思ったのに。。。
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    ガブリエル
    怒るどころか、一番良い着物、指輪、履物を用意させ、大切な子牛を屠って祝宴を開いてくださっていますね。創造主であり父である神様も、ご自身から離れ、名誉も、持ち物も、自分自身さえも失ってしまった場合でも、どんな状態でも温かい心で受け入れ、子供として扱ってくださるということを、この物語を通してイエスは聴いている人々に伝えたかったのです。

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    放蕩息子の帰還
    ポンペオ・バトーニ
    美術史美術館(ウィーン)
    1772年
    Pompeo_Batoni_003.

    放蕩息子の兄

    ルカ15章25節-32節

    ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。
    それで、しもべの一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
    しもべは彼に言った。

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    しもべ
    あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事な姿でお迎えしたので、お父様が、肥えた子牛を屠られたのです。
    すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。
    しかし、兄は父に答えた。
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    ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。
    それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠られるとは。
    父は彼に言った。
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    子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。
    だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。

    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

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    キアラ
    お兄さんがちょっとかわいそうな気もするな。。。
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    ガブリエル
    このたとえ話をされる前に、イエス様が当時 罪人とみなされていた人々を受け入れて、一緒に食事をしていることを宗教学者たちが、快く思っていないシーンが書かれていています。
    そんな彼らにイエスは、このたとえ話を語る事によってなだめ、神のもとに帰ってきた弟のような、彼らのことを一緒に喜んで欲しいと願っておられるのです。
    神と共に働いてきた、誠実な彼らもまた愛しておられ、「信頼し、頼りにしているよ。私の物は全部お前の物だし、この帰ってきたばかりの弟の事もよろしく頼んだ。」という神様からのメッセージを、伝えたかったのでしょう。

    放蕩息子の帰還 レンブラント・ファン・レインの作品

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    放蕩息子の帰還
    レンブラント・ファン・レイン
    エルミタージュ美術館
    1666-1668年

    この作品はレンブラントの最晩年に描かれた作品です。

    すべてを失い、自分自身をも失いかけ、生きていても死んでいるかのように、追い詰められた放蕩息子。かつて、上質だったと思われるボロボロの衣服を身にまとい、足の裏も傷だらけで自分を傷つける歩みをしてきたことが、現されているようです。

    父は全てを察しながらも優しく穏やかな表情で、彼を包むように受け入れています。
    息子の肩に置かれた手は、左右で表現を変えて描き分けられています。
    左手は強いコントラストで、血管まで丁寧に描かれた男性的な手、右手は彼を優しく受け入れる女性的な手。。。父の愛と母の愛の両方をお持ちである、神様の愛が表現されていると言われています。

    放蕩息子の帰還のまとめ

    神様は、どんなに遠く離れてしまった人も、帰ってくることを待ち続けて下さっています。そして、心から父のもとに帰ってきたいと思うまで、忍耐づよく待っていてくださるのです。
    帰ってきたときには、どんなにボロボロになっていても受け入れ、息子、娘として迎え、最上のもてなしをして、帰ってきたことを喜んでくださるお方です。
    また、今まで誠実に生きてくることが出来た人々には、弟のような道を歩まざるを得なかった弱い人々を暖かく迎え入れ、神様がこの事を喜んでいらっしゃるように、迎えることが勧められています。

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    ガブリエル
    最後に動画をいくつか用意しました。この物語がより立体的に見える助けになると思いますので、どうぞご覧ください。

    放蕩息子の動画Ⅰ

    イエス様がお育ちになった村、ナザレによる制作

    The Parable of The Prodigal Son

    放蕩息子の動画Ⅱ

    The Prodigal Son – Beginner’s Bible