大ヤコブはイエスの側近
使徒ヤコブ
グイド・レーニ
ヒューストン美術館
1636-1638年頃
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大ヤコブ、ヤイロの娘の蘇生に立ち会う
この時、ペテロ・ヤコブ・ヨハネは娘の父母と共に一緒にいることを許されました。
ルカの福音書8章54節~55節
しかし、イエスは少女の手を取って叫ばれた。
ヤイロの娘の蘇生
イリヤ・レーピン
1871年
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↓『ヤイロの娘の蘇生』について、名画と共にまとめた記事はこちらになります。
大ヤコブ、イエスの変容を目撃する
ある日、イエスはペテロとヤコブ、ヨハネを連れて山に出かけました。
山に到着すると、3人の目の前で姿が変わり顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなられました。そして、その場所にイスラエルの預言者モーセとエリヤが現れ、イエスがこの後エルサレムで成し遂げられることについて3人で話し合っていたのです。その後下のような出来事に続きます。
マルコ9章7節~9節
そのとき、雲がわき起こって彼らをおおい、雲の中から声がした。
↓『キリストの変容』について、またその名画についてさらに詳しくはこちらにまとめました。合わせてお読みください。
大ヤコブ、ゲッセマネの祈りの時もイエスのすぐ傍に
イエスは十字架に架かられる前の晩、弟子たちと共に食事をした後ゲッセマネという所で、弟子たちと共に祈られました。
汗が血のしずくのように落ちるほど、苦しみ天の父の前に心を注ぎ出されました。
そのような時も、ヤコブはペテロと弟のヨハネと共にイエスのすぐ傍に居ることを許されました。
マタイ26章36節ー46節
それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという場所に来て、彼らに
そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
そのとき、イエスは彼らに言われた。
↓『ゲッセマネの祈り』については、下記に詳しく書かれています。
大ヤコブの宣教
イエスの昇天とペンテコステを経て、ヤコブは力強い宣教者に変えられエルサレム教会の中心的な立場でした。彼はイエスの言葉を伝えるためにイベリア半島へ渡り、宣教を拡大しました。
ヤコブ、魔術師エルモゲネスを解放する
(外典:聖ヤコブ伝より)
フラアンジェリコ
キンベル美術館(テキサス州、米国)
1434年-1435年
大ヤコブの殉教
44AD年に彼がユダヤ戻ったとき、ヘロデアグリッパ1世がクリスチャン達を異端視する、権力あるユダヤ人たちの関心を引くために、リーダーであったヤコブを殺害します。
使徒の働き 12章 1〜2節
そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、
ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。”
サンティアゴの殉教
ズルバラン・フランシスコ
プラド美術館(スペイン)
1640年
大ヤコブのシンボルはホタテ
大ヤコブは、イベリア半島にキリスト教を確立した後、ユダヤに戻り、処刑されたため、一般的には巡礼者の守護聖人と見なされています。ホタテ貝殻は、彼が宣教したガリシア地方の海岸に沢山あるため、巡礼者のシンボルになったと言われています。巡礼者は自国に戻ると、帽子にホタテの貝殻を飾り、敬虔さを示したそうです。
聖ヤコブ
レンブラント
1661年
Rembrandt_-_Sankt_Jakobus_
この作品の中でヤコブは、巡礼者の装いで描かれています。彼の肩にはホタテ貝殻があり、巡礼者の帽子と杖が描かれています。
画像出典:Wikimedia Commons
※聖書箇所はすべて新改訳2017を使用しています。