洗礼者ヨハネとサロメ
洗礼者ヨハネについて『誕生』と『荒野での生活・活動』について紹介してきました。
洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い ヘロデに悔い改めを迫る
マルコの福音書 6章 17〜18節
ヘロデは、自分がめとった、兄弟ピリポの妻ヘロディアのことで、人を遣わしてヨハネを捕らえ、牢につないでいた。 これは、ヨハネがヘロデに
ヘロデを非難する洗礼者ヨハネ
ピーター・ドグレバー
パレデボザール・ド・リール
17世紀
洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い ヘロデとヘロディアの反応
マルコの福音書 6章 19〜20節
ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、できずにいた。 それは、ヨハネが正しい聖なる人だと知っていたヘロデが、彼を恐れて保護し、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていたからである。
ヘロデを非難する洗礼者ヨハネ
ジョバンニ・ファット―リ
アカデミア美術館(フィレンツェ)
1856年
ですからその話を喜んで聞き、神が遣わされたと思われるヨハネをすぐに処刑することを恐れ、投獄から2年の月日が流れていきました。
ヘロディア(部分)
ポールデラ・ロッシュ
ヴァルラフリヒャルツ美術館(ケルン)
1843年
洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い サロメの踊り
マルコの福音書 6章 21〜22節
ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが自分の誕生日に、重臣や千人隊長、ガリラヤのおもだった人たちを招いて、祝宴を設けたときのことであった。 ヘロディアの娘が入って来て踊りを踊り、ヘロディア列席の人々を喜ばせた。
ヘロデの宴会(部分)
フィリッポ・リッピ
ドゥオーモ、プラート
1452-1465年
ギュスターヴ・モローの作品
ヘロデの前で踊るサロメ
ギュスターヴ・モロー
ハンマー博物館(ロサンゼルス)
1874-76年
Salome_Dancing_before_Herod_by_Gustave_Moreau.jpg
仏教の寺院のような宮殿の中で踊るサロメは白い蓮の花を手にし、洗礼者ヨハネの清らかさと共に死を暗示させます。
画面中央のヘロデ王は高い場所に座していながらも、うつろに描かれ、左側にヘロディア、そして楽器を演奏する人、右側には剣を持った死刑執行人が描かれています。
サロメの衣装、死刑執行人、カーペットには血液の色を思わせる緋色が使われています。聖書では人の罪を赤で表すことが多いのですが、そのことも同時に表現されているのでしょう。
洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い サロメへの褒美
マルコの福音書 6章 22〜26節
そこで王は少女に、
洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い 洗礼者ヨハネ天国へ
マルコの福音書 6章 27節
そこで、すぐに護衛兵を遣わして、ヨハネの首を持って来るように命じた。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、
バプテスマのヨハネの斬首
ピュビスデ・シャバンヌ
ロンドン国立美術館 1869年頃
洗礼者ヨハネの斬首
カラヴァッジョセントジョンズ・カテドラル(マルタ)
1608年
マルコの福音書 6章 28〜29節
その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女はそれを母親に渡した。 このことを聞いたヨハネの弟子たちは、やって来て遺体を引き取り、墓に納めたのであった。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品
バプテスマのヨハネの頭を持つサロメ
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ)
1515年頃
お盆の上の首はティツィアーノの自画像といわれ、首を撥ねられた時のヨハネとほぼ同年齢の30歳の時に描いたと言われています。
ピーター・ポール・ルーベンスの作品
ヘロデの饗宴
ピーター・ポール・ルーベンス
スコットランド国立美術館17世紀
フィリッポ・リッピの作品
ヘロデの宴会
フィリッポ・リッピ
ドゥオーモ、プラート
1452-1465年
filippo-lippi/the-feast-of-herod-salome-s-dance
洗礼者ヨハネの死を、軽んじられない神。
洗礼者ヨハネの証し
特に最後の一文から、ヨハネが”永遠のいのち”への確信のゆえに、恐れることなくどんな立場の人にも真実を語り続けたことがわかります
ヨハネの福音書 3章 27〜36節
「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることができません。
『私はキリストではありません。むしろ、その方の前に私は遣わされたのです』と私が言ったことは、あなたがた自身が証ししてくれます。
花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。
あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」
上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地のことを話す。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。
この方は見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。
その証しを受け入れた者は、神が真実であると認める印を押したのである。
神が遣わした方は、神のことばを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。
父は御子を愛しておられ、その手にすべてをお与えになった。
御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い 動画
LUMO-マルコの福音書6章14節~6章29節「バプテスマのヨハネの死」
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出典:Wikimedia Commons
※聖書箇所はすべて新改訳2017を使用しています。
ヨハネはこの結婚が、ユダヤ人が大切にする、モーセの律法に反していること。 そして悔い改めなければ、結果的に自分の身も亡ぼすことになる事を愛を持って伝え続けます。