洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い『ギュスターヴ・モロー』『フィリッポ・リッピ』の名画と聖書から解説

洗礼者ヨハネとサロメ

洗礼者ヨハネについて『誕生』と『荒野での生活・活動』について紹介してきました。

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今回は、多くの芸術作品に採り上げられてきた『洗礼者ヨハネ』と『サロメ』そしてその両親『ヘロデ』と『ヘロディア』が聖書の中にどのように描かれているのかを、名画9点の紹介と共にまとめました。

洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い ヘロデに悔い改めを迫る

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ガブリエル
ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、イエスキリストが降誕した際に幼児を虐殺したヘロデ大王の息子です。妻であるファサエリスと離縁し国へ帰らせて、不倫関係だった兄の妻ヘロディア(姪でもある)と結婚しました。
ヨハネはこの結婚が、ユダヤ人が大切にする、モーセの律法に反していること。 そして悔い改めなければ、結果的に自分の身も亡ぼすことになる事を愛を持って伝え続けます。

マルコの福音書 6章 17〜18節

ヘロデは、自分がめとった、兄弟ピリポの妻ヘロディアのことで、人を遣わしてヨハネを捕らえ、牢につないでいた。 これは、ヨハネがヘロデに

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洗礼者ヨハネ
あなたが兄弟の妻を自分のものにするのは、律法にかなっていない
と言い続けたからである。

blankヘロデを非難する洗礼者ヨハネ
ピーター・ドグレバー
パレデボザール・ド・リール
17世紀

洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い ヘロデとヘロディアの反応

マルコの福音書 6章 19〜20節

ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、できずにいた。 それは、ヨハネが正しい聖なる人だと知っていたヘロデが、彼を恐れて保護し、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていたからである。

blankヘロデを非難する洗礼者ヨハネ
ジョバンニ・ファット―リ
アカデミア美術館(フィレンツェ)
1856年

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ガブリエル
ヘロデは王である自分にストレートに罪を指摘する、ヨハネの言葉が正しいことに気が付いていました。
ですからその話を喜んで聞き、神が遣わされたと思われるヨハネをすぐに処刑することを恐れ、投獄から2年の月日が流れていきました。
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グレース
2年間もヨハネさんから教えを聞いていたんですね。。。
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ガブリエル
一方ヘロディアは指摘されたことが、モーセの律法から見て正しいかどうかを、よく吟味することもせず、身分の高い自分に真正面から罪を指摘するヨハネを恨み、何とかして亡き者に出来ないものかと機会を伺い続けます。

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ヘロディア(部分)
ポールデラ・ロッシュ
ヴァルラフリヒャルツ美術館(ケルン)
1843年

洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い サロメの踊り

マルコの福音書 6章 21〜22節

ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが自分の誕生日に、重臣や千人隊長、ガリラヤのおもだった人たちを招いて、祝宴を設けたときのことであった。 ヘロディアの娘が入って来て踊りを踊り、ヘロディア列席の人々を喜ばせた。

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ヘロデの宴会(部分)
フィリッポ・リッピ
ドゥオーモ、プラート
1452-1465年

ギュスターヴ・モローの作品

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ヘロデの前で踊るサロメ
ギュスターヴ・モロー
ハンマー博物館(ロサンゼルス)
1874-76年
Salome_Dancing_before_Herod_by_Gustave_Moreau.jpg

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ガブリエル
モローは、このサロメの踊りのシーンを題材に沢山の作品を遺しました。
仏教の寺院のような宮殿の中で踊るサロメは白い蓮の花を手にし、洗礼者ヨハネの清らかさと共に死を暗示させます。
画面中央のヘロデ王は高い場所に座していながらも、うつろに描かれ、左側にヘロディア、そして楽器を演奏する人、右側には剣を持った死刑執行人が描かれています。
サロメの衣装、死刑執行人、カーペットには血液の色を思わせる緋色が使われています。聖書では人の罪を赤で表すことが多いのですが、そのことも同時に表現されているのでしょう。

洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い サロメへの褒美

マルコの福音書 6章 22〜26節

そこで王は少女に、

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ヘロデ
何でも欲しい物を求めなさい。おまえにあげよう
と言った。 そして、
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ヘロデ
おまえが願う物なら、私の国の半分でも与えよう
と堅く誓った。 そこで少女は出て行って、母親に言った。
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サロメ
何を願いましょうか。
すると母親は言った。
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ヘロディア
バプテスマのヨハネの首を。
少女はすぐに、王のところに急いで行って願った
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サロメ
今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます。
王は非常に心を痛めたが、自分が誓ったことであり、列席の人たちの手前もあって、少女の願いを退けたくなかった。

洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い 洗礼者ヨハネ天国へ

マルコの福音書 6章 27節

そこで、すぐに護衛兵を遣わして、ヨハネの首を持って来るように命じた。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、

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バプテスマのヨハネの斬首
ピュビスデ・シャバンヌ 
ロンドン国立美術館 1869年頃

 

blank洗礼者ヨハネの斬首
カラヴァッジョセントジョンズ・カテドラル(マルタ)
1608年

マルコの福音書 6章 28〜29節

その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女はそれを母親に渡した。 このことを聞いたヨハネの弟子たちは、やって来て遺体を引き取り、墓に納めたのであった。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品

blankバプテスマのヨハネの頭を持つサロメ
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ)
1515年頃

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ガブリエル
美しく描かれたサロメは、この出来事の恐ろしさをあまり理解していない様子で、ヨハネの首を目の端のほうで眺めます。ひょっとしたら、人が殺されることは日常的な事だったのかもしれません。。。。
お盆の上の首はティツィアーノの自画像といわれ、首を撥ねられた時のヨハネとほぼ同年齢の30歳の時に描いたと言われています。

ピーター・ポール・ルーベンスの作品

blankヘロデの饗宴
ピーター・ポール・ルーベンス
スコットランド国立美術館17世紀

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ガブリエル
お盆に乗せられたヨハネの首を興味本位に見ようと、集まっている人々の視線が集まります。料理でも運ぶようにサロメは首を運び、ヘロディアは自分たちの恐ろしい行いに、全く気が付いていない様子で、邪魔者が居なくなったことを喜んでいます。ヘロデのテーブルクロスを握りしめ苦悩するような表情と対照的です。

フィリッポ・リッピの作品

blankヘロデの宴会
フィリッポ・リッピ
ドゥオーモ、プラート
1452-1465年
filippo-lippi/the-feast-of-herod-salome-s-dance

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ガブリエル
画面中央やや左側にサロメがうつろな表情で踊り、風にたなびく衣装がダンスの美しさを際立たせています。左側にヨハネの首を受け取るサロメとヘロデ王、右側にヨハネの首をヘロディアに運ぶサロメと、一つの画面の中に、時の流れが織り込まれています。

洗礼者ヨハネの死を、軽んじられない神。

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グレース
神様の前に、一生懸命に誠実に生きたヨハネさんが、こんなひどい亡くなり方をすることが、残念で悲しいです。。。。
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ガブリエル
そうですね。。。耐え難いほど酷い出来事です。。。 『神は、主を信じる者たちの死を軽んじられない:現代訳』 詩篇116:15の言葉です。地上だけの視点で見ると、とても理解できない不公平な出来事が沢山あります。しかし、永遠を治めておられる神様はすべてご存じで、必ず公平に裁かれ、いつかは誰の目にも納得の行くようにして下さる御方です。
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ガブリエル
黙示録20章4節にはこんな言葉もあります。
また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。黙示録20章4節

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ガブリエル
黙示録は洗礼者ヨハネではない、キリストの弟子のヨハネが幻の中で神様に見せられたことが、まとめて記されている聖書個所です。解釈が難しいところなのですが、イエス様のことを証して神様からゆだねられた言葉を伝えた事のゆえに、首をはねられた人々がその後神様によって特別に扱われていることがわかりますね。
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グレース
その言葉を聞いて、少し安心しました。。。天国に行ったら、神様のすぐそばにいるヨハネさんに会えるかな。。。

洗礼者ヨハネの証し

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ガブリエル
ヨハネが語ったイエスキリストを証しする言葉を紹介します。
特に最後の一文から、ヨハネが”永遠のいのち”への確信のゆえに、恐れることなくどんな立場の人にも真実を語り続けたことがわかります

ヨハネの福音書 3章 27〜36節


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「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることができません。
『私はキリストではありません。むしろ、その方の前に私は遣わされたのです』と私が言ったことは、あなたがた自身が証ししてくれます。

花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。

あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」

上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地のことを話す。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。
この方は見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。
その証しを受け入れた者は、神が真実であると認める印を押したのである。

神が遣わした方は、神のことばを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。

父は御子を愛しておられ、その手にすべてをお与えになった。
御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

洗礼者ヨハネの投獄とサロメの願い 動画

LUMO-マルコの福音書6章14節~6章29節「バプテスマのヨハネの死」

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出典:Wikimedia Commons
※聖書箇所はすべて新改訳2017を使用しています。